反応し発光するガラスといえばウランガラスが有名。ウランガラスは紫外線に反応して光るのだが、欧米では人工的に紫外線を照射するブラックライトがない時代から自然光にて発光する事を庶民は気付いており、それを愛でたとされている。日本でウランガラスの発光がいわれだしたのは比較的最近である。この紫に光るガラスはウランガラスではない。これから徐々に話題となってくるであろう新アイテム。
玩具博物館併設 出雲そば日本一大名陣
THE ALFEE 坂崎幸之助 和ガラスコレクション展
戦前のガラス製洗眼器。ガラスカップに水とクスリを入れそこに眼をつけてまばたきし洗眼する。こちらは医者より処方され箱と洗眼器本体に病院名が入れられている。当時ガラス製の洗眼器は数が多く作られていた。坂崎氏はウランガラスの洗眼器を所有している。
ガラスをネガとして写真を焼き付ける乾板写真。幕末から用いられ、坂本龍馬のお馴染みの写真も乾板写真で撮影された。板ガラスの裏面に写真がプリントされており、これを元に現像する。経年劣化からかこするとプリント部分が剥がれてしまうため綺麗な状態で残っているものは少ない。当時の乾板写真を焼き付けてプリントしてみる試みも面白いであろう。
枠にガラス絵がはめ込まれたコースター。これは3個入りだがお盆とセットになった物が多い。昭和時代まで生産されており、骨董屋で安価にて売られている。涼やかなガラスは水や氷関連などに用いられる。ガラスのみで作られたコースターも定番で見られる。
みかん水はみかんのフレーバーが入った飲料で全国各地で生産され、全国各地で認知されている。業界大手の高知県吉村飲料が機械の老朽化により惜しまれつつ2016年の10月に廃業となり、ローカル飲料文化は途絶えようとしている。衰退の大きな原因はコンビニだと業者は分析する。コンビニはローカル商品をほとんど取り扱わないうえ、自販機展開が出来ないため近年苦戦を強いられている状況であった。当時高知県産の駄飲料は関西、中国、九州と四国以外にも多く流通していた。最盛期は高知県でも各市町村にそれぞれ飲料工場があったとの事だが、この度廃業となった土佐市の吉村飲料のシェアは群を抜いていた。有名な瓶飲料パレードは日本で数ヶ所、委託契約で生産されたドリンクで、西日本では岐阜、佐世保、そして土佐の吉村飲料が手掛けていたという。吉村飲料は現社長の吉村氏(70)の父親が起業、元々高知市内の醤油屋にて働いていた父親が、友人よりみかん水の作り方を習い地元土佐市高岡にて産声をあげた。最盛期には年間80万本の売り上げがあり商品は東京にも並んだ。その販売数は国内に参入したコカコーラも遠く及ばないほど爆発的な売上高を記録したという。2代目となる長男吉村氏により大型機械の導入、ラムネ、パレードの生産(昭和20年~)とみかん水以外のヒット商品を連発した。吉村飲料は先代の頃より工場の向かいにて骨董店を営んでおり現在も営業を続けている。写...
ガラス製のコマ。カラフルなガラス製のコマに複数色で数字が色付けされている。時代はさほど古くないが気泡も多く入り味わい深い。型ガラスながら細かい部分もきちんと抜かれており非常によく出来ている。駄菓子屋にはビー玉、おはじき、石蹴りなどガラス製の安価な玩具が売られていた。ラムネ、ニッキ水などのガラス瓶飲料も取り扱われており、当時の子供はガラスに慣れ親しんでいたと言えるであろう。
果物を乗せる西洋の皿をコンポートと呼ぶ。日本では大正時代より多く見られるようになった。こちらは型の単色だが珍しいピンクのコンポート皿である。足と皿部分がそれぞれ別色であったり、エナメル彩色にて絵が描かれた物、被せガラスで凝った造りなど様々なバリエーションがある。いずれにせよ大正、昭和時代と食卓に果物を乗せたコンポート皿が並ぶ風景は、近い将来訪れる西洋文化到来の足音が聞こえてきたのかもしれない。コンポートのデザイン、紋様には年代に限らず和風のテイストは一切なく、コンポートは日本で作っても西洋のオリジナルを尊重された。
かき氷を食べる器を氷コップと呼ぶ。江戸期より食べられたかき氷は明治以降になり庶民の間で絶大な人気を誇るようになる。それに伴い見た目も涼しげなガラス製の専用器が作られ、大正時代になると数色組み合わせたカラフルな物や可愛い造りをした氷コップが競って生み出された。こちら、透明な丸い模様が浮き出したように見える技法を「あぶりだし」「あぶり」と呼ぶ。製作過程に於ける温度差で紋様を浮かび上がらせる。特に氷コップは見た目の可愛らしさと芸術性が相まって、和ガラスの代表格として人気を誇っている。
通称ねじりと呼ばれるガラスかんざし。こちらは明治時代に大阪で作られた大阪ガラス。ガラスかんざしは年代の決め手に欠け、鑑定が難しいアイテム。こちらは実際に大阪のガラス工場からデッドストックとして発見された物で年代や生産がハッキリとしている。2016年に関西大学博物館で開催された坂崎幸之助 和ガラスコレクション展の特別企画展「商業ガラス発祥の地、大阪」にて公開された。
駄菓子屋にて菓子を入れ販売に使用したガラス瓶。この大型でユーモラスな変わり瓶が登場したのは大正時代で、様々な駄菓子瓶が作られた。当時は舗装されていない道も多く、半開放で営業する駄菓子屋は砂ぼこりなど衛生面で問題もあった。そのために菓子をガラス瓶やケースに入れるようなっていった。こちらの招き猫型駄菓子瓶は昭和初期に作られた物なので大正時代製に比べると仕上がりは上出来。近年、この招き猫型駄菓子瓶を中国産で復刻し販売しているが、味という部分ではアンティークより劣る感は否めない。変わり駄菓子瓶は当時の子供達を高揚させた人気アイテムだった事だろう。
珍しい江戸ガラスのひょうたん根付け。クリア、乳白の2色。根付けとは今でいうストラップ、飾りである。江戸時代に流行し様々な物が作られた。木彫り、象牙彫りのものが多く、江戸期のガラス製は希少。型ではなくひとつひとつを職人が手作りしたもの。こちらはTHE ALFEEの坂崎幸之助氏より譲り受けた品。坂崎氏は2016年にこのひょうたん根付けをウランガラスで復刻している。左に見える小さなガラス杯、こちらも坂崎氏より譲り受けたペロペロである。l
亀甲紋様の氷コップ。時代が若い分、デザイン性に優れモダンな仕上がり。亀甲紋様の氷コップは稀に見掛けるが大正時代から作られていた物かもしれない。亀甲は中国から伝来した縁起物の紋様なのであろうか。あられ氷コップのあられ紋様も起源はヨーロッパであり、日本古来と思われている物も意外とルーツを外国に持つことがあり面白い。